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ヱニシインフォ vol.1

この人の行く道 VOL.4

清廉の空手家

  緑 健児さん

ヱニシ「この人の行く道」第4回は、

NPO法人・全世界空手道連盟新極真会 

代表を努める緑 健児さんをフィーチャー。

第五回全世界空手道選手権大会で優勝、

かつて小さな巨人と呼ばれた緑さんは、

2020年オリンピックに向けて、

フルコンタクト空手とライトコンタクト空手、

二つのルールを取り入れて正式種目にするための活動をしています。

空手の持つ競技としての魅力と、

根底にある精神性を交えながら、

なぜ二つのルールが存在しているのか、

両方のルールによる種目をオリンピック競技とする意味と意義について語っていただきました。

熱く純粋なその思いに触れてください。

 

          取材・文/竹澤まり 取材協力/飯塚則子

わずか一月半で100万を超える署名が集まった!

 緑さんは幼い頃、少年漫画誌で連載されていた「空手バカ一代」(原作・梶原一騎/画・つのだじろう、影丸譲也)を読んで、空手に憧れ、この道に入りました。

「子どもでしたからね、ありとあらゆる格闘技家と対戦しては倒してしまう大山倍達先生という人がこの世に実在しているのだという事に、強く惹かれたのです。そこで仲間と道着を手に入れて、自分たちで本を読みながら練習してました。私は奄美大島で生まれ育っていて、身近に教えてくれる人がいなかったのです。もっと上達するためには、きちんとした道場で、しかるべき先生について学ぶことが必要と考え、中学卒業と同時に上京し、大山先生を祖とする極真空手の世界に入ったのです」

集まった署名の山をバックにインタビューに応じて下さった緑さん。柔和な表情は数々の研鑽を積んで来たからこそのものとお見受けしました。

 入門当初は、とにかく「強くなりたい」「喧嘩に勝ちたい」という思いだったという緑さんですが、真剣に空手に取り組むうちに、徐々に考え方が変わって行きました。

「私が若かった頃は今と違ってツッパリ全盛期ですからね、町を歩いていて、ちょっと肩がぶつかったとか、目が合ったというだけで喧嘩になる。空手を始めても、茶帯時代は盛んに喧嘩していました。ところが黒帯になった頃にはもう売られても喧嘩をしなくなった。睨まれても目をそらすことが出来たのは、『俺の方が強いから』という気持ちになれたからだと思います。そうなって、空手には『強さ』の裏付けがある『優しさ』を育てるという精神的な効果があることに気づいたのです」

飯田橋の本部道場で子ども達に話しかける緑さん。それを聞く子ども達の真剣で、憧れに満ちた表情が印象的です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

徹底的に闘った相手だから、深い友情が生まれる不思議

JFKOの加盟国は90カ国にのぼり、約10万人が空手を通じて活発な国際交流を行っているそうです。

「それに、フルコンタクト空手には、『道』としての修行的な要素や、健全な精神を養うという要素が色濃く受け継がれているのも事実です。今私は、子ども達の指導をする中で、学校でいじめられ不登校になっていた子どもが空手を通じて強さを身につけ、いじめに屈することなく学校に通えるようになったり、いじめっ子が空手を習う事で優しさを身につけ、いじめなくなるという現象を目の当たりにしています。いじめっ子もいじめられっ子も、身体と心、両方が強くなる事で、『勇気』という本当の優しさを学んでいるのです」

 それは実戦性を重視したフルコンタクト空手ならではの効果だと緑さんは語ります。

寸止め空手から発展したライトコンタクト空手のルールは、防具をつけた上で対戦相手への接触を可能にしましたが、審判が技の適格性や有効性を判断し、加点して行くという方法で勝負を決めるため、時として選手自身、自分が勝っているのか、負けているのかを判断出来ない場合もあるということ。その代わり技を繰り出す時の身のこなしや「型」の美しさが際立ちます。

「けれどあくまで実戦性を重視しているフルコンタクト空手のルールは、対戦相手に与えるダメージの基準にウェイトが置かれています。たとえば相手にある技で打撃を与え、3秒以上倒れれば『一本』ということになるのです。このルールだと、対戦している選手はもちろん、観客にも明確に勝ち負けがわかります。見方によれば、とても厳しいルールですが、伝統的な武道である少林寺拳法からの派生団体や、中国挙法の流派からの賛同を受けているのは、このルールが実戦性に重点を置きながら安全性にも配慮しているからだと思います。これは私自身も経験している事ですが、何よりも、フルコンタクトルールで徹底的に対戦し、勝ち負けを争った相手とは、試合後に心から互いを

かつては男性だけの競技だった空手ですが、今では女性の部門も出来て、試合も行われるように。強さと優しさを兼ね備えた女性が増えるのは素晴らしいことです。

尊重する気持ちが持て、信頼関係が築かれ、深い友情が生まれたりするのです」 

 野山や公園などリアルな場所で遊ぶ機会が激減し、幼い頃からゲームなどバーチャルな世界での闘いを覚え、長じてはSNSを通じた人間関係の広がりをすべて『友達』と思うような若者が増えている現代では、直接相手と対峙した喧嘩を経験する事も少なくなりました。「ここまでやったら相手に致命的な傷を負わせてしまう」という加減を知らずに育てば、怒りに任せて行動した結果、最も大切な人を深く傷つけてしまうという事にもなりかねません。

 そんな時代だからこそ、フルコンタクト空手が必要なのだと言えるでしょう。

「実際、町の道場に子どもを通わせるご両親が増えているのです。子どもの中には、最初は抵抗して真面目に稽古に加わらない子も居ますが、続けているうちにいつしか自分が強くなっている事に気づくと、本気で取り組むようになります。そして大会で対戦した子と、いつの間にか親しくなり、大人になっても交流を続け、仕事などでお互いに困難を生じた時に、惜しみなく助け合う絆を継続できるのです」

 弱い者いじめをする人に、「そんなことをするな」と言える勇気。それはまず自分自身が強くなければ、得られないものだと緑さんは熱く語ります。「強さ」を求めて入門し、「優しさ」を手に入れて世に出て行く・・・。そんな子どもが増えれば世界は自ずと変わって行くはず。

世界各国の選手による稽古風景。大きく広がる空の下での多くの同志との稽古は、のびのび楽しげ。

 かつては喧嘩空手、邪道空手と呼ばれたフルコンタクト空手。ですが時代は大きく変わり、今や人間としての強い心と身体を養える数少ない『場』となっているようです。

その証拠に、JFKOが2014年5月に開催した「第1回全日本フルコンタクト空手道選手権大会」は超満員となり、会場はものすごい熱気に溢れたということ。

「実戦に重きを置いているから、護身術としてフルコンタクト空手を習う女性も増えています。何よりも実践的だからこそ、対戦して負けると心も身体も痛みます。その痛みを知る事で強くなって行くのです。

 とはいえフルコンタクト空手はきちんとした競技ですから、『何でもあり』というわけではなく、しっかりしたルールがあります。勢いだけで勝とうとすると、反則することも多くなります。つまり最終的に勝ち残り、上位にあがって行くのは、ルールをきちんと守る冷静さを持った者ということになるのですね。そういう意味で、フルコンタクト空手は、武道としての精神性を保ち続けているのです」

 ライトコンタクト空手と同様、フルコンタクトルールによる空手もオリンピックの正式種目になれば、空手の持つ競技としての面白さと、武道としての精神性の両面を次世代に継承して行く大きな足がかりになることでしょう。日本が生んだ世界に誇れる武道として、あらためて認識されれば、競技人口もさらに増えて行くに違いありません。

 

子ども達との稽古風景。誰もが「いつかは緑さんのような立派な空手家になることを夢見て、稽古に励んでいます。

老若男女、国籍を問わず、空手の魅力を伝えたい!

「小さな巨人」と呼ばれた緑さんは、実際にお目にかかると、心の大きさを感じさせる存在感と、まっすぐこちらを見てお話しする真摯なありように感じ入りました。

フルコンタクトによる実戦力が心と身体を養うのです。

を祖とする極真系に代表されるフルコンタクト空手 で、こちらは長年組織化 されることなかったのです。というのも大山先生の弟子達が世界中に散らばって独自の流派となり、道場を持ち、それを基点として広がってきたからなのです。 現在では250の流派になるまで広がりを見せているのは、それだけフルコンタクト空手には魅力がある証拠とも言えます。それを組織化して、ライトコンタク トの団 体と協力しながらオリンピックの正式種目化を目指そうと考えたのです。なぜなら、幼い頃からフルコンタクト空手の練習をして来た選手たちが、オリンピック に出場出来ないというのでは不公平ですし、双方が力を合わせる事ですべての空手家に参加出来る可能性が出来て、よりいっそう競技としての魅力を強調出来る と考えたからです」

 そのために緑さんが2013年3月に設立したJFKO(全 日本フルコンタクト空手道連盟)では、2014年10月から11月中旬にかけて、二つのルールによる空手のオリンピック正式種目化を求める署名活動を行っ たところ、わずか一月半で目標としていた100万人の署名が集まったのでした。まさに一つ一つの町の道場が力を合わせた結果、訪れた奇跡とも言える快挙で した。

 

「そうなればフルコンタク トとライトコンタクトの間に交流が生まれる事で、もともとフルコンタクト空手から始めた人が、技の正確さを究めるライトコンタクト空手に興味を持って移行 したり、ライトコンタクト空手から始めた人が、勝ち負けが明確にわかりやすいフルコンタクト空手を習い始める・・・ということも可能になり、今までよりも 空手を身近に感じてもらえる機会が増えると思います」

  もともと沖縄で生まれたという空手は、大正時代の末から、日本全国に普及していきました。当初は単に素手や素足を用いて激しくあて合う闘いが主流で、安全 面に多くの問題点を抱えていたようです。より実戦に近く、なおかつ安全に闘うための研究が進められて行く過程で、防具をつけてあて合う方法が試合に採用さ れたり、相手に直接打撃を与える寸前に技を止めるという「寸止め」ルールでの試合が行われたりと、試行錯誤が続いたのです。そんな中、大山 倍達氏が登場し、防具をつけず、素手・素足で自由に攻撃出来るという独自のフルコンタクトルールを採用したのが1969年。その3ヶ月後にライトコンタク トの前身である寸止め空手による全日本空手道選手権大会を開催したのでした。以後、ライトコンタクトとフルコンタクトは、それぞれ独自の発展・展開を遂げ て、現在に至っています。

1991年には日本代表選手として第五回世界大会に出場。身長165cmの小柄な体格ながら並みいる強豪や2mを超す巨漢を相手に闘い抜き、軽量級選手としては史上初の無差別級王者となりました。引退後は故郷奄美と福岡で後進の指導を行いながら、世界中に散らばる極真会系の流派や道場を組織化するためにNPO法人を立ち上げたのでした。

「現在、空手には大きくわけて二つの競技があるのです。一つは<安全性>を重視して手足に防具をつけて対戦するライトコンタクト空手で、こちらは1961年にスペインに本部を持つ組織・WKF(世界空手道連盟/1993年に世界空手連合から改名)として設立され、30年ほど前からオリンピックの正式種目化を目指しています。

 一方<実戦>を重視しているのが、大山先生

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