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第五回 火星の話

第五回は、火星のお話しです。火星は、占星学では「行動力」や「闘争心」、「攻撃性」を象徴する星と言われ、一般的には凶星である、と多くの教科書には書かれています。 たとえば誕生時の火星の配置が悪いと、凶暴さや残忍さが際立つなどなど。けれどもし仮に、誕生時の星の配置図上で、火星をカウントしなければ、この世に生まれいでるパワーさえなくしてしまうかも。生まれでること、何かを始める時に、火星の力は不可欠なのです。だからこそ火星の力を、上手に使える人生と、翻弄される人生では天地ほど違ってしまうということ。ユキコさんは、そのことを、火星の神様であるギリシャ神話のアレスの物語から伝えています。

                    文/ユキコ・ハーウッド 構成・編集/中谷マリ 

 

 ※ユキコ・ハーウッドの「12星座英国紀行」をお読みになりたい方は、ユキコさんのサイト「星の架け橋」へどうぞ。

 ※本文はユキコ・ハーウッドさんの了承を得て、本サイトに掲載しております。本文の転載については原則お断りいたします。適切な目的でのご利用をお望みの方は、本サイトまでお問い合わせ下さい。

 ※本連載で使用する写真・画像の多くはウィキペディアから引用させていただいております。

 

 



 

 

 



 

 

 

 今回は火星のお話です。 牡羊座の支配星(各星座を治める神様)である火星は、ギリシア神話の軍神アレス。ローマ神話ではマースと呼ばれます。ギリシア神話のアレスは、戦闘時の狂乱を神格化したもので、その好戦的な性格ゆえ、周りの神様からは敬遠されたそうです。戦場では戦車に乗って駆けめぐり、青銅の鎧で身を固め、槍を持って走り回ったそうですね。

 で、戦場でアレスが手柄を立てる度に、戦死者を冥界のハデス(蠍座の支配星)の元に

送り込んだので、ハデスとだけは交流があったそうです。

 

 神様の世界のネットワークもつくづく面白いものです。一人の達人の中で、火星アレスと冥王星ハデスに託される「戦闘」と「死と甦り」の精神がパワフルに働くと、戦いを経て、一国を古い体制の死から新たな秩序の誕生に導くような、カリスマ指導力が発揮されるのでしょうが、悲しいかな。一人の凡人の中で、アレスとハデスが自覚されないまま、強力にチームワークを組むと、家庭内暴力ぐらいでしか体験されないことが多いようです。

 

 このあたり。占星学を勉強されている方に。この神様同士の人脈が、ホロスコープを読む時の大きなヒントになりますね。そして占星学門外漢の方にも、自分で説明のつかない衝動的な行為の動機を考える時の手がかりになります。

アレスは、ゼウスとその正妻ヘラの一人息子。『イリアス』では凶暴で大ボラ吹きの戦士として描かれています。鍛冶の神へファイストスの妻で愛の女神アフロディーテと浮気した時には、それを知ったヘファイストスの策略に落ち、裸で抱き合う姿のまま網にかかり、神々の前で見せ物にされました。また他の女性や女神、ニンフとの間にもトラキア王ディオメデスなどの多くの凶暴な息子がいることで知られています。

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 前回、「金星の話」で、アフロデイーテと浮気をしたアレスは背が高くハンサムで、オツムの方は今ヒトツと書きましたが、この火星アレスと金星アフロデイーテから三人の子供が生まれます。息子が二人に、娘が一人です。

 

 まず「フォボス」(PHOBOS)。これは「いわれのない狼狽、動揺」を意味するもので、よくナントカ恐怖症と言いますが、英語でこの恐怖症を「フォビア」(PHOBIA)。アクロフォビア(ACROPHOBIA)は、高所恐怖症。クラストロフォビア(CLAUSTROPHOBIA)は閉所恐怖症といった具合。このフォビアの語源となったのが、アレスの子供のフォボスだそうです。

そして「恐怖」を意味する「デイモス」(DEIMOS)が生れます。

 

一方、娘の方は母アフロデイーテの気質を受け継いだのでしょうか。「ハルモニア」(HARMONIA)が生れます。これは「調和」の意です。

 

 このようにアレスの生き様を追っていくと、火星に込められたサイキの一面が少し立体的に見えてきますね。今日はこの火星、ギリシア神話以外の観点からも考えてみましょう。

 牡羊座を治める火星、アレスですが、牡羊座は12星座の始まり。以前、ロンドンの心理占星学専門校に通っていた頃、先生が「12星座の始まりには、赤ん坊がオギャーとこの世に生まれるため産道をくぐり抜けるような、ストレスが生じる。」と、話してくれたことを思い出します。これは非常によく言い得た表現だと今さらながら感心します。

 

 

ものごとの始まりに付きものの「やるぞ!」という力み。そして実行に踏み切っても、果たしてうまく行く保証がないわけですから、様々なためらい、不安、恐怖、パニックが生じがちです。私達には産道をくぐり抜ける時の記憶はありませんが、難関突破して無事にこの世に生れ出ても、人生バラ色の未来の約束はないわけです。そのリスクを引き受けて、魂はこの世に降り立つのですね。

ギリシャ神話では、立ち向かうものは誰彼構わず、有無を言わさず切り捨てるオリュムポスの神々の中では嫌われ者だったアレス。ローマ神話の時代になると、マースと呼ばれ、品格高い軍神として崇められるようになります。それはローマ帝国が闘うことを美徳と考えていた証とも考えられますが、占星学的に眺めれば、火星の力をどう使うかの違いを表しているようにも思えます。

 つまり、新たなものごとに取り組もうとする時、留学でも何かのプロジェクトでも何でもいいですね。自分で満足のいく結果が得られるかどうかわからない。その上、人の協力も得られるかどうかもわからない。つまり失敗を恐れず、そして賛同者やお連れがいなくても、前に踏み出す勇気が試されます。

 

確かに。金星と火星は男女のペアですから、能動性と受動性のバランスは大事です。しかし、人の意向や気持ちを思いやる優しさと、一人ぼっちを恐れて周りにお伺いばかり立てる付和雷同は違いますね。そして穏やかさと、失敗や負けを受け入れられず何もチャレンジできない弱さも別物です。

 

 このようにしてみますと、火星が敵とするものは、自分を打ち負かす強い相手ではなく、自分の心に潜む失敗や敗北に対する恐れだと、私は思います。

 モグラ叩きのように、ライバルを必死で負かそうとする。これも火星の恐怖心の表れでしょうか。アレスの子供、フォボスとデイモスが、火星の戦い時に生じる副産物をよく物語っているように感じます。

 

 人生で遭遇する様々なチャレンジ。例えば試験ですね。あんなに頑張ったのに、不合格の結果を知った時のショック。だけどそれでいいんです。大切なのは自分が精いっぱいやったという充足感です。

 

 

 むしろ困るのは、負けや失敗を恐れて自分自身を去勢状態に追いやる生き方です。チャレンジを阻まれた火星は、身近なところでてっとり早く、そのエネルギーを放出しようとします。すると八つ当たりのように人に攻撃的な態度をとったり、すぐにカッとなって暴言を吐いて、周りに不愉快な思いをさせてしまいます。日常生活でよく見かける光景です。

 また、この攻撃性が外側に向かわず、内向するとリストカットのような行為を引き起こすこともあるでしょう。

 

 人生チャレンジして失敗するのと、何もしないでいて後悔するのと、やっぱりチャレンジして失敗する方が良いように私は思います。

 あと一つ。火星はアレスの性質からもうかがえるように短期決戦型ですから、長期戦が苦手です。チャレンジ、チャレンジと書きましたが、機が熟するのを待つ長期展望も学びの課題になります。

 年のせいでしょうか。だんだん説教じみてくる自分が我ながらイヤになります。

 

 次回は木星のお話です。

 

 

アレスとアフロディーテ。どちらもオリュムピスの神々の中でははみ出し者だった二人が、戯れに愛し合って生まれた三人の子どものうち、女の子は調和を意味するハルモニアでした。火星がもたらす力を生産的、建設的に使えた時に、本当の調和が訪れるということなのかもしれません。

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