



こんにちは。フランス・中央ロワール地方にある小さな村、サンセールで、地元のワイン生産者たちとともに日仏の飲食文化の交流を通じて東日本大震災の復興支援を行う団体「トモダチ・ソリダリテ」を立ち上げたジュリ・ルメです。
すでに前回の記事でご紹介いただいたので、重複する部分もあるかと思いますが、私自身の言葉でメッセージを……というご要望を頂き、こうして書いています。
東日本大震災から2年の月日が経ちました。これって「もう」なのでしょうか? あるいは「まだ」なのでしょうか? 日本から遠く離れたフランスで暮らしている私には、「まだ」という気持ちの方が強いと感じます。あの巨大地震。そしてその後に訪れた巨大な津波。それによって破壊された原発から漏れた大量の放射能。
それは本当に悲劇だし、絶望的な気分に陥ってしまうのも無理はないと思います。けれど5年経ち、10年経った時に「あの時があったから今がある」と思えるかどうかは、その後の人間の生き方次第なのだと考えています。少なくとも世界は、今後日本がどのようにこの状況から立ち直り、前進して行くかを、息をひそめてうかがっているのではないかと感じます。
というのも東日本大震災は、自然がもたらした災害であると同時に、原発を持つ国やその周辺諸国にとって、対岸の火事とは言い切れないものがあるし、放射能は風に乗り水に潜って拡散しますから、ただ日本だけの問題というわけにはいかないからです。
あの時。フランスを始め欧州で流れたニュースを見た人々の混乱の様子は、在仏(欧州在住)の日本人たちにとっては、身の置き場のない思いに陥るものでした。
日本から遠く離れ、安全な場所にいるという申し訳なさ、そして連日報道される大げさでヒステリックなニュース……。ショッキングすぎて、ここにはほとんど書くことが出来ませんが、チェルノブイリ以上の惨劇が起こっているという情報が欧州各国を飛び交っていたのです。放射能で汚染された雲が上空を通過するというニュースでパニックになった隣人から、日本人であるというだけで嫌みを言われた知人もいました。
私は出来る限り冷静になろうと努めました。被災者でもない外国にいる日本人が大騒ぎしても仕方が無いからです。そして事の次第を見守るしかないと思っていましたが、その態度が不思議に見えたのでしょう。私自身、「あなたたちは何が起きているか知らないから平然としていられるのだろうけど、分かっているのか?」と直接問われたこともありました。
他の地方から来た環境問題に敏感なマダムが連日うちにやってきては「日本を応援している」という言葉とセットにして放射能漏れについての不安を延々と伝えてきた時には、とうとう私も追いつめられた気分になり、「自分は日本人としてあなたとは違う考え方で自分なりに受け止めていて、あなたよりも深刻にこの事態に胸を痛めていますよ。でもあなたのようにパニックになって大騒ぎは出来ないのです。冷静である事と、無関心である事とは違います!」とやり返してしまいました。

冷静な人と、パニック状態の人の間で辛い思いをしている日本人同士の話も聞きました。けれど離れた国で暮らす日本人たちは、日本にいる家族や友人には余計な心配をさせたくないと、決してこちらで起こっていることを話せなかったのです。そうしてもっと困難な立場にいる自国の被災者の事を思えば小さな事だと自分自身に言い聞かせて過ごしていました。放射能漏れがどんなにひどくてもいいから日本に帰りたいと泣きながら話す友人もいました。
恐らく、大半の在仏日本人は、震災後(厳密には原発事故後)には欧州のヒステリックなニュースを見るのをやめたくなったと思います。私もニュースを消して、ネットで多方 面からの冷静な情報を求めるようになりました。

幸いなことに私は地元であるサンセールの人たちから、あからさまに苦情や文句を言われたことは一度もなく、むしろ恐縮するほど温かい思いやりのある、毅然とした扱いをしていただきました。本当にありがたいと思いました。
そして何より、こうしたさまざまな出来事を踏まえた上で、サンセールのワイン生産者たちは、「自分たちと同じ醸造酒である日本酒を生産している被災地の生産者たちとつながりながら、支援を続けて行く」という方針を選んでくれました。ですからこの活動は私が単独で考えついた訳ではなく、むしろ彼らから背中を押され、サンセールに住む数少ない日本人として「そこまで思ってくださるなら、私が動かなくて誰が動くのだ」という気持ちになったから、始めたことなのです。
正直なところ、フランス人と日本人では価値観や物の感じ方がかなり違うことを肌で感じているため、この活動をどのように進めて行くか、試行錯誤と模索を繰り返しています。
そんな中、昨年秋にたまたま日本を訪れた時、私が日本にいた頃からよく通っていたお店の経営者が、ゑにしというサイトを立ち上げていて、私の活動に興味を持ち、応援するよと言ってくれたので、まずはサンセールの生産者たちに日本酒の味を知ってもらおうと、個人的に福島の日本酒を集めてもらい、私の友人を介してお送りいただいたのが、昨年末のことでした。
3月7日。サンセールで開いた日本酒の小さな勉強会は、3・11のメモリアルの気持ちも込めたイベントでした。参加してくれたのはサンセールでワインに関わる仕事をしている人たち。

2013年3月7日、私たちはその日本酒を並べ、サンセールの生産者たちに味わってもらうための、小さな会を開きました。会場はサンセールの特産であるクロタン・ド・シャヴィニョールというチーズの生産現場からリタイアされた、日本でもチーズ業界ではカリスマ的な存在として知られる方がオープンしたレストランです。
彼はこの日、日本酒とのマッチングを味わおうと、熟成度合いの異なる4種のチーズ(出来上がったばかりの若いものからかなり熟成したものまで)を用意してくれました。日本酒とともに私の友人が持ってきてくれた、海苔やスルメなどの日本の酒のツマミも並べました。驚くべきことに、用意した日本酒は、どんな熟成度合いのクロタン・ド・シャヴィニョールにもマッチするということが分かりました。
けれど日本酒そのものは、どんな風に受け止められるのだろう? もともとフランス人にとっての日本酒は、紹興酒とほとんど混同されています。あんなにきついアルコールは飲めないという反応が返ってくるのが一般的で、違いを説明するところから始めなければなりません。幸い現在は空前の日本食ブーム。刺身や繊細な和食を紹興酒と合わせるのは変だという話をして日本酒がもっと繊細な酒である事を説明しやすくなっているのも事実ですが……。

私が初めてサンセールを訪れたのは、2008年のこと。その頃の私は、フランス国内のさまざまな生産地を訪ねていたのですが、たまたまシャンパーニュ地方にいるフランスの女友達を訪問した時に、サンセール行きを提案され、ワイン産地として是非とも一度は訪れたい所だったので、すぐに同行を決めたのです。
サンセールで紹介された友人のボーイフレンドは、なんと日本に一度も訪れたことがないのに、ものすごい日本食ファンだったのです。キッチンには巻き寿司を作る際に用いる「巻きす」から海苔から極上のお酢まで揃っているし、彼は手に入れたフランス語の日本食レシピの本を広げて、「これは正しいレシピか」と興味津々で尋ねてくるので、日本で生まれ育った私としては「じゃあ作ってみましょうか?」と言わざるを得ない状態になりました。
そこからが大騒ぎ。彼は親戚から友人までに声をかけ、なんとあっという間に15人もの人を集めてしまいました。ここだけの話ですが、私はその時生まれて初めて巻き寿司を自分で作りました。けれどレシピとにらめっこしながら、「こんな味だったよなあ」とおそるおそる作った巻き寿司を、集まった人たちはみんな感激しながら食べてくれました。実はその中に、私の結婚相手であるブノア・ルメがいたのです。今思い返すと、その時作った巻き寿司は、かなりいい加減だったと思います。
その後、シャンパーニュの友人は、サンセールに引っ越し、2年後の2010年に出産。そのお祝いで再びサンセールを訪れた時に、またもやリクエストされて巻き寿司パーティを開くことになりました。その時に私は今の主人と再会。縁とは不思議なもので、気が付けば2010年年末には彼と結婚してサンセールで暮らし始めるようになったのです。

とはいえ、どんな感想がもたらされるか、内心ドキドキしてました。けれどさすがワインの生産者。デリケートな香りの表現はもちろんのことですが、みなさん微妙な味の違いを感じてくれたのです。「紹興酒とは全然違うものだ」ということは当然のこと、日本酒独特の甘みの裏にある微妙な苦みや雑味もしっかり感じ取って、自分の言葉で表現していただきました。
ではサンセールのワインと日本のツマミの組み合わせも味わってみようと言うことで、用意したものをワインでも試してみたところ、スルメ以外はすべて「意外と合うね」という好評を得ることが出来たのです。スルメはやはり生臭さが立ってしまい、ワインにはどうやら向かなかったみたいです。(笑)
私はこの会を開くにあたり、参加者たちに「フクシマの日本酒なんだけど……」とお断りを入れました。そうして昨年参加した「福島美酒の会」が始まる前に開かれた記者会見で、福島の酒蔵さんたちが、いかに放射能に厳しい検査をした上で、市場に出しているかを直に聞いてきたので、そのお話をしたのです。
そうしたら彼らは笑って「わざわざそんな話しなくていいよ。私たちはちゃんと分かっているから」と言ってくれました。同じフランスでも、かなり神経質になっている人たちがいるという事実を思うと、サンセールの人たちは、なんておおらかでオープンな精神を持っているのだろうと改めて感動しました。
2012年9月26日に開催された「福島美酒の会」開始前の記者会見風景。福島県酒造組合では独自の厳しい線量検査基準を設けていることが伝えられました。酒米に用いるのは放射性セシウムが未検出の玄米のみを使用することになっているそうです。

いろいろなタイプの日本酒を利き分けているサンセールの人たち。まず香りを確かめ、口に含んで味やのどごしを確かめます。日頃ワインのテイスティングに慣れている彼らですから、バラエティに富んだ意見と感想 が聞かれました。


そうして迎えた2011年。3・11の時のことは前回の記事でも紹介されましたが、実はその年の夏、サンセールのワイン博物館(メゾン・ド・サンセール)で、界隈の有名なレストランのシェフたちが生産者と組んで、ワインと食事の組み合わせの妙(マリアージュ)を提案する夕べが開催されることになっていました。
ところが参加を予定していたシェフが都合で出店できなくなり、みんなが大好きな巻き寿司でアトリエ・ジャポンというブースを出してもらえないだろうか? と突然打診されたのでした。みんなのキラキラと期待に輝く目を見て、断ることも出来ず、結局その時は130人分もの巻き寿司を黙々と一人で作る羽目になってしまいました。(笑)
けれどこの経験から、私はいろいろなことを学びました。
元々、この産地に嫁いできて、いろいろな蔵元を訪問し、あらゆる試飲会にテイスターとして参加して感じていたのは、サンセールを始めとする中央ロワールのワインを口にすると、必ず和食のイメージが思い浮かぶことでした。(笑)それまでは和食がなくても平気だった私ですが、ここに来て初めて和食を恋しいと思うようになったのです。そしてことあるごとに、その話をしているうちに、多くの生産者が和食に強い興味を持ってくれるようになっていました。

ですからこのイベントは、和食と言えば、アメリカで誕生したカリフォルニア巻きと、せいぜいで中国人が経営する日本食レストランで出される細巻きくらいしか知らなかったフランス人にとって驚きの連続だったと思います。
この時、私は日本伝統の太巻きと、地元の人がもっと親しみを持てるようにと、地元の食材を使用した裏巻きを作りました。特に太巻きをみた彼らは「こんなの見たことがない」という感嘆の声を上げていました。サンセール一帯の地域の特産品にはレンズ豆、クロタン・ド・シャヴィニョールというヤギのチーズ、ジャガイモ、葡萄の樹でスモークしたハムなどがありますが、これらを組み合わせて中身に用い、寿司米にはレンズ豆と地元の赤ワインを混ぜた炊き込みご飯にして淡いピンク色のご飯を使ったのです。
黒い海苔に対しても寿司米に対しても、抵抗のない彼らですが、面白かったのはお年寄りと子どもたちの反応でした。見慣れない黒い海苔を気味悪がった小さい子どもも、大好きなレンズ豆で炊き込まれた淡いピンク色のご飯には興味津々。
そして一口食べると全部知っている味ばかり……!
お父さんがどんなに勧めても躊躇していた子が、食べて美味しいと分かったらお父さんが食べている海苔で巻いた太巻きまでおねだりし始めたのでした。
また日本食=生魚のイメージが強いお年寄り世代も、野菜を中心にした優しい味わいの太巻きや、自分たちが慣れ親しんだ素材が和食に変身していることに大変好意的でした。そして必ずしもお醤油やわさびを漬けなくてもいいこと、お箸でなく手でつまんでサンドイッチのように食べてもいいことを彼らは知りました。
まさに革命だったと思います。
マダムたちはこぞって「私にも作れる?」と質問を浴びせてくるし、同じイベントに参加したシェフたちからは、ぜひとも美味しい(正しい)お米の炊き方から教わりたいと申し出がありました。

この時に、ワインとお寿司のマリアージュを体験したワインの生産者たちは、口を揃えて自分たちのワインに巻き寿司がしっくり合うことに感嘆し、他にもワインに合う和食があるのでは?という質問をたくさん受けました。
そして私はと言えば、この経験で一つのことを思いついたのです。これだけたくさんの人たちが和食をもっと知りたい、体験したいと思ってくれているなら、ワインと和食をメインにしたイベントを行ったらどうだろう? 東日本大震災以後、彼らはことあるごとに「自分たちにも何か出来ないか?」と言ってくれていたので、そのイベントを復興支援に役立てられないかと思ったのでした。
そして料理を作るなら、作り方を知りたいと殺到している地元のマダムたちと一緒に作り、ワインを生産する彼女たちの旦那さまたちのワインを合わせてはどうだろうと思い、日本にいた頃から親しくしていた料理研究家の上田淳子さんに相談したのでした。彼女は私が初めてフランスの地を踏んだときも一緒に旅をした方で、サンセールでの私の結婚披露宴にも駆けつけてくれ、250人分のアペリティフの和食を考案し、日本から参加してくれた友人たちと作ってくれた人なので、以来サンセールでも人気者です。
彼女は私の考えたイベントの趣旨に賛同して、なんと日本からこのためだけに駆けつけてくれることになりました。
それが前回の記事で紹介された2012年6月のワイン博物館(メゾン・ド・サンセール)でのイベントです。事前にフランスと日本の間で、フランス人の嗜好や旬の食材を私が調べ、それに基づいて淳子さんがレシピを考案し、フランスで私が再現して結果報告。ということを繰り返して日本との誤差を埋めて行く作業をしながら、丁寧にレシピが出来上がりました。ただしこのレシピは、フランス人のマダムも参加するので、あまり高度なテクニックを要するものを極力避けました。


イベント前の準備は日仏の女性が集まり、さながらキッチンコラボといった風情。ここに参加できなかったマダムたちは自らのドメーヌのワインを会場に届けてくれたり、会場でのお手伝いを申し出てくれました。すでに用事が入っていて、どうしても参加できない生産者たちは、それぞれの蔵のワインとエントリーフィーを会場前に届けてくれました。「参加いただけないのだからお金はいらない」と言うと、「これは寄付でもあり、君たち日本人の心意気に対して何かせずにはいられない気持ちでもあるんだ。せめてこれで私も参加したつもりにさせてほしい。これは素晴らしいアイディアだよ。和食とワインのお祭りで地元のみんなを喜ばせてくれるだけじゃなくて、そのお金が復興支援に使われるなんて最高だ。ありがとう」
もうこのイベントの前後は町を挙げてのサポート体制でした。大きなキッチンを持っている蔵元さんが私たちのために開放してくださり、パン屋さんを始め地元の飲食店も必要なものがあれば遠慮なく言ってくれれば力を貸すからという申し出が殺到し、リタイアした生産者たちは会場のセッティングに大張り切り。
イベントが始まってからもメゾン・ド・サンセールのスタッフたちはエントリーフィーの募金箱を手作りして作成してくれていて、チケットの替わりにお箸を交換してお客様たちを案内してくれました。ここでも多くの方たちが実際のエントリーフィーよりも多い金額を出してくださるという驚くべき現象が起こりました。
これは多すぎますと担当者が伝えると、「それは気持ちです。寄付として受け取ってください。だってこんなに素敵なイベントなんですから私たちも役に立ちたいのです」という返事でした。
こうして大成功のうちに幕を閉じた2012年のイベントでしたが、今年もまた55月24日に開催する予定です。今度はワインと和食の組み合わせだけでなく、日本酒とフランスの食材による和食やチーズとの組み合わせも楽しもうと考えています。
実は3月7日に行った小さな会は、そのためのリサーチでもありました。日本酒の評判は上々。私たちはこの日のために、今からいろいろと構想を練っているところです。

あまりにもひどい風評被害やそれをあおるような報道に精神的に参ってしまって、優しい言葉をかけていただいても、震災そのものの犠牲者でもない私は、日本 の家族や友人たちと困難を共有できない申し訳なさと、自 分の無力さ、そして欧州では加害者的立場におかれている事実に打ちのめされ、外に出ることをやめた 時期もあります。毎日のようにかかってくる励ましの電話の中には、明らかに不安に怯えたために、無意識のうちに私をスケープゴートにしているなと思われる フランス人からのものもありました。
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