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「この人の行く道」第7回は、

清涼飲料水評論家の清水りょうこさんにご登場頂きます。
みなさんは「地サイダー」を知っていますか? 
もしかしたら旅先でちょくちょく見かけ、新しい地域活性化商品と思っているかも。
でも全国各地で作られて来たサイダーの歴史って意外と長いのです。
2016年2月「懐かしの地サイダー」を上梓された清水さんに、

サイダーに関するお話をうかがいました。

資料提供/清水りょうこ
撮影/スタジオクライン、鈴丸

この人の行く道 vol.7

清水 りょうこ さん

清涼飲料水評論家

なつかしの味を訪ね、「物語」を伝える


 


 


 

「もともとジュースが大好きだったのです。まだ幼かった頃、親とよく旅に出かけていたのですが、行く先々で私が暮らしている東京にはないジュースを見かけ、すごく興味を持っていました」という清水さん。大学生の頃、雑誌で泉麻人さんが連載していた昔懐かしいお菓子を紹介する「お菓子屋 ケンタ」というコラムを毎回楽しく読みながら、思ったそうです。

  「ジュースでも、こういうことができるかも!」
 卒業後は出版業界へ、と考えていた清水さんは、編集プロダクションンに勤務するかたわら、清涼飲料水評論家としての活動を始めたのでした。
初めて書いたコラムが、若い女性向けのファッション誌として人気のあった「MCシスター」。1989年のこと。
  覚えている人もいるかも知れません。1996年から2000年まで、「GON」というマニアックな雑誌で、「日本一まずいジュースを捜せ!」という
読者参加型の飲料試飲ランキング企画を連載、ほぼ毎月、新しく登場するジュースを読者とともに端から飲んで「まずジュー」「うまジュー」として紹介していたこともあります。その頃の清水さんは、毎月、車で都内近郊の自動販売機とスーパーやコンビニをチェック、パソコン通信で各地の情報をキャッチしていたのでした。
 2000年12月のこと。日本で最も古いサイダーの一つと言われる「養老サイダー」が製造販売をやめるというニュースが流れました。「養老サイダー」は、明治33年発売開始、岐阜県にある養老の滝の近くから出る菊水泉という水を使用した、地元でよく知られたサイダー。このニュースは、ネット上でもちょっとした騒ぎとなり、清水さんは危機感を覚えたのでした。「もしかしたら、なつかしい味がどんどん消えてしまうのでは?」と感じた清水さんは、とにかく養老サイダーを飲んでおきたい!と思い、メーカーに問い合わせたところ、既にそこには一本もないということ。東京での卸し先の店を聞いて出向いて手に入れ、ようやく飲むことが出来たそうですが、「養老サイダー」自体は、今も伝説のサイダーとしてマニアに知られています。

 この経験をきっかけに清水さんは、本腰を入れて各地に昔からあるラムネやサイダーについて調べるようになったのです。

清水さんが本格的に「地サイダー」に取り組むきっかけとなった今では伝説の養老サイダー(岐阜県養老町)2000年12月に製造中止となりました。

 
 

 

 

 

 

左から●スワンサイダー(佐賀県小城市)
かつての近隣の宅配用ボトル。現在の復刻版とは違い、緑のビンに白文字でプリントされていた/友枡飲料●
ダイヤモンドレモン(兵庫県神戸市) 1914年に誕生。神戸は布引山麓から湧出する天然水で作られたサイダー/布引礦泉所 

金扇サイダー(佐賀県唐津市) 地元用のリターナブル瓶。唐津駅周辺の一部商店にて購入可能。ほかにワンウェイビンもある/小松飲料 

 

 この「がんばれ 地サイダー」を読んだ「AERA」(朝日新聞社)の編集者からの原稿依頼を受けたのが、2005年。カラー3ページの記事として掲載されたのが、2006年。「地サイダー」という呼称は一般に広がり、折しも地域活性化の波と相まって、今に至る「地サイダーブーム」になって行ったのでした。
「でもね、私が本腰を入れて地サイダーに取り組もうと思った2000年から現在までの間にも、残念ながらものすごい数の中小のメーカーが廃業してしまったのです」


 

サイダーは江戸末期、黒船とともにやって来た!

 そう。最盛期には全国に1000社以上のメーカーがあったというサイダーの世界。いったいいつから日本で作られて来たのでしょう?
「実は、
日本における炭酸飲料は、ペリーが黒船に乗せて来たレモネードが始まりと言われています。レモネードがなまって、ラムネになったとも言われています。日本でのサイダーの歴史は、横浜で「ノース&レー社」が外国人向けに作ったのが最初です。ノース&レー社は、製品だけではなく、飲料製造に必要な機械から、資材、香料などの材料も取り扱っていました。それらの香料の中に「シャンペンサイダー」があり、それが商品名として定着していったと考えられます。
 宮沢賢治は花巻で教師をやっていた時代、給料が出ると天ぷら蕎麦を頼み、サイダーを飲むのが恒例だったと言われています。賢治が通っていた、大正12年創業の「やぶ屋」では、当時、かけそば6銭に対して、天ぷら蕎麦が15銭、サイダーは23銭だったといいますから、一般庶民には手が届かない高級品でした。

 ですから先に庶民に広まったのは、ラムネなんです。日本でのラムネの発祥は長崎ですが、王冠を必要としない分、作りやすかったし、ガラス玉で塞いでいるだけですから、洗浄してボトルを何度も使えましたから」
 なるほど。地域活性化と結びついてブームとなる前に、長ーい歴史があったわけです。
「ラムネが各地で作られることになった裏には、明治・大正・昭和と、軍艦には必ずラムネの製造機を載せていて、それを各地のメーカーが払い下げで買い取ったということが一役買っているのです。こうしてラムネを製造したメーカーのうち、余力のあるところが、やがてサイダーも作るようになったというケースも目立ちます」

 こういう長い歴史を持つメーカーも、いくつかは今も健在な上、新たな地域活性化商品として生まれて来たものと合わせると、今では何と全国に650種類以上の「地サイダー」があるのだそうです。
「まだ飲んでいないものもあるので、それを飲んで、その地元に行けるなら行って、その『物語』を残して行きたいですね。なぜなら、『子どもの頃に飲んだあのジュース』がいつしかなくなり、それが実在したかどうかも分からないなんて、寂しいじゃないですか。大手の企業が大量生産して来たものの歴史はちゃんと残るけれど、地方の小さなメーカーの歴史は埋もれてしまいがちだから、それをちゃんと記して行きたいとおもいます」
 と、語る清水さん。清涼飲料水評論家と名乗り始めてから30年近くの歳月を経て、経験と自信を培ってきた清水さんだからこそ、きっとやり続けるに違いありません。
 

上/山形県鶴岡市にあった金鶴サイダーを製造していた五十嵐飲料の三代目・五十嵐新一氏による「サイダーラベル・コレクション」の一部。30都道府県、536種のサイダーラベルをコレクションされていたそうです。下/コレクションの一つ。これはラベルサンプル。昭和レトロな雰囲気が、むしろ新鮮!

『懐かしの地サイダー』の表紙
著者/清水りょうこ 発売日/2016年2月12日 判型/B6版横並製 価格/1380円+税 発行/有限会社有峰書店新社
■販売、その他のお問い合わせ
有峰書店新社(本社・編集室)/tel 03-5996-0444・fax03-5996-0454 平日11:00~18:00(日・祝休)

Amazon販売ページはこちら

清水りょうこ
 1964年東京生まれ。子供の頃からジュース好き。1989年に清涼飲料水評論家としてティーン誌でコラム連載開始。以降、雑誌を中心に清涼飲料水関連の記事を執筆。テレビ・ラジオなどにも専門家として出演。著書に『なつジュー。20世紀飲料博覽會』(ミリオン出版)。青梅・昭和レトロ商品博物館缶長。
・「地サイダー」とは?
 「地ビール」や「地酒」などと同様、全国各地の中小メーカーが、地元で販売しているサイダーのこと。2000年初頭には終売となる商品も多く、その存在は危ぶまれていました。しかし、インターネットの普及や、メティアでの注目度が高まったことなどから、地域おこしや地元の名水や農産物とのコラボレーションも増えて一大ブームに。現在では全国で約650以上のサイダーが存在します。

 

  ●清水りょうこさんの過去の著書●
 

なつジュー。20世紀飲料博覽會』(ミリオン出版・2010年発売/絶版) ネットで購入するならこちらへ

 とはいえ、各地に散らばるメーカーを調べ、ひとつひとつ訪ねて取材していくには、お金も時間もかかります。清水さんはライターとして働きながら、仕事で会う人みんなに声をかけて回りました。
 ようやく「うちの雑誌で地サイダーの連載をしましょう」という声がかかったのが、2002年のこと。さっそく佐賀県の二軒のメーカーさんとコンタクトをとり、取材承諾を頂けたところで、その雑誌が廃刊となってしまったのです。でもこんなチャンスは二度とこないかもしれないと考えた清水さんは、約束したメーカーさんに「掲載出来る雑誌がなくなってしまいました。いつとは約束出来ないけれど、必ずどこかで掲載しますから、取材させて下さい」と頼み込み、九州までお話を聞きに行ったのです。数ヶ月後、「日用の趣味マガジン ドーラク」(辰巳出版)から、別件で連絡を受けた際、その記事の存在を伝えたところ、掲載してもらえることに・・・!

 清水さんは間をおかず佐賀のメーカーさんとの約束を果たすことができたのでした。
「この時初めて『地サイダー』という言葉を使った」という清水さん。「その後、『ドーラク』の編集部が作った『日本全国ローカルフード紀行―新名物にうまいもんあります。』が出る時に、「がんばれ 地サイダー」という6ページモノクロの記事を書かせてもらいました」

清涼飲料水評論家・清水りょうこ。誕生の背景とは?

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