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祖父が90年という人生を終え遠くへと旅立った。なんでも朝5時20分くらいに起きてきてトイレへ行き、ベッドへ戻ってきたら祖母に、窓を開けるように頼んだそうだ。祖母が窓を開けてやると、寝室を吹き抜けていく早朝の風に微笑みながら「今日は風が気持ちいいなぁ」と言い終わるか終わらないかのうちに祖父は旅立ったとのことだった。病気で苦しむこともなく、排泄物の処理も誰かにさせることもなく、静かに祖父は息を引き取った。まさしく大往生である。

朝6時半頃、祖母から祖父の訃報が知らされ、慌てて地元へと帰った。葬儀の手配や役所への届け出。やらなくてはいけないことが次から次へと出てくる。祖父の死を悼む暇もない慌ただしい1週間だった。葬儀が終わって、疲れ切った体を引きずるようにして東京に戻る。自宅で何かつくって食べる気力もなく、まごわやさしいへ足を運んだ。

 

田町の「まごわやさしい」とは?

今回のコースメニューは、

 

・刺身湯葉
・里芋ポテトサラダ
・とうきびのかき揚げ 生のりあん
・なめ茸おろし
・ゴーヤの肉詰め
・ちらし寿司風土鍋ご飯
・黒ごまクッキー


の計7品。

祖父はひな人形の顔を描く職人のような仕事をしてきた。自宅の作業場で延々とひな人形の顔を描き、それを祖母が検品し出荷する。外に出る類の仕事をしていなかったのに、驚くほど交友関係が広かった。祖父の家で過ごすと日中はたいてい誰かが訪ねてくる。ご近所の方や仕事関係の方、同年の友人。趣味のつながりで知り合った方々。常々誰かが訪ねてくるので、お茶請けだけは切らせないと祖母が話していた。

親族に対しては、正月、ゴールデンウィーク、お盆の年3回は祖父母の家に親戚を集めてみんなで食事を供にした。祖母と母を含む3人の娘たちが忙しく台所を立ち回り、祖父が家庭菜園でつくった野菜を調理し、食卓へと並べていく。お盆のメイン料理は祖父母がつくるちらし寿司だ。エビのそぼろからすべて祖父母の手作りだ。みんながご馳走だと喜んで食べていたこのちらし寿司がどうにも僕は苦手だった。実家の料理は大好きだけれども、どうにもこれは好きになれないと、いつもなかなか手を付けずにいた。代わりに祖母がつくるポテトサラダは大好きで、いつもポテトサラダに夢中だった。

一人暮らしを始めた当初、祖父母から「仕送りで食べものを送りたいけど、何が食べたいか?」と聞かれ、真っ先に思い浮かんだのが祖父の畑でつくったじゃがいもときゅうりににんじんの使ったポテトサラダだった。調理済みのポテトサラダがクール便で届いたときはびっくりしたけれども、当時知り合いがほとんどおらず不安でいっぱいだった僕には、東京で食べた祖父母のポテトサラダは望郷の思いをかき立てられ、涙のせいか少し塩味が効き過ぎていると思った。

今となっては、もう祖父のつくったちらし寿司もポテトサラダも食べられない。好き嫌いを言わずもっともっと食べておけばよかった。東京に戻ってきて気が抜けたのか、疲れた体にはビールでも十分に酔うのか、偶然にも立秋のメニューで出てきたポテトサラダやちらし寿司風土鍋ご飯は、やっぱり涙のせいか少し塩味が効き過ぎていると思った。

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今回のレシピ

ちらし寿司風土鍋ご飯」

 

吸水した白米一合に水を100~110cc入れ、

メダイの切り身(白身の魚であればOK)炊きます。(土鍋で炊く場合)

初めは強火で沸騰したら弱火にして12分、火を消して蒸らしで12分。

先に錦糸卵、椎茸の煮物(干し椎茸をもどして、水・醤油・砂糖で似たもの。少し味を濃いめに)桜でんぶ、大葉を先に土鍋の中にいれて、寿司(米酢50cc、薄口醤油少々、砂糖大さじ1、塩少々、昆布を鍋に入れ沸騰直前に昆布を取り出してください。市販のものでも結構です。)20ccと混ぜて、お皿に取り分けた後にイクラ(醤油漬けのもの)刻んだ万能葱をちらして完成。

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